メディアが過度に発達した時代において、民主主義という面倒な政治システムを制する方法は、どうやら「観客民主主義」を最大限、利用するしかないようだ。
そうでなければ、マスメディアにこっぴどくたたかれ、ほうほうの体で権力の座から逃げ出すしかない。
今日の朝日新聞「天声人語」は初っ端からこう書いた。
「おとといの民主党両院議員総会の有り様に、この党を見限った人もおられよう」
誰でも醜い争いを見るのは嫌なものだ。「責任を取れ」「辞めろ」と詰め寄る姿は決して美しいものではない。
しかし、この両院議員総会をネットでも、テレビでも中継し、国民の前にさらしているからこそ、われわれは政治の実態を知ることができるという側面も忘れてはならない。
そこには、仕掛けられたものは何もない。劇場でも何もない。強いていえば、楽屋裏をのぞいているようなものだ。
ここに価値を見出すのか、小泉劇場のような、かっこよさを政治に求めるのか。それこそが国民に突きつけられた命題だ。
良い政治をクリーンでさわやかなものだと考えるのは、ある程度のところでとどめておかねばならない。「正義の味方」など、この世に存在しないということをわきまえていなくてはならない。
政治はもともと、利害と権力欲のからんだ醜悪なもの、という成熟した認識から出発しなければ、些細な政治資金収支報告書の記載不備でさえ、あたかも贈収賄事件のごときイメージでとらえる過剰反応が起き、メディアの集団ヒステリーにあおられる始末となるのである。
せっかく国民自身の手で勝ち取った「政権交代」は、こうして国民自らによってその価値を貶められる。
Source: news.livedoor.com